「六ヶ所村ラプソディー」上映会 in 根城公民館

画像タイトル:六ヶ所ラプソディー上映前の監督2上映前の挨拶をする鎌仲ひとみ監督3月27日、根城公民館で開かれた「六ヶ所ラプソディー」の試写会に参加してきました。
恥ずかしながら途中道を迷ってしまい(根城は苦手なのです…京ぽんのおかげでMAPFAN使ってなんとか到着)、根城公民館についた時には上映前の監督挨拶中でした。
部屋にいたのは20人ほどでしょうか、さして大きな部屋でもないのでほぼ満員といったところです。
監督の話が終わり「六ヶ所村ラプソディー」上映開始、上映が始まってからも何人か訪れ、最終的に30人ほどがいたかと思います(スタッフ含む)。
その後の質疑応答があったのですが、私はとりあえず客観的に意見をしたいと思った部分もあってその場では静かに聞くだけに終始しました。

映画そのものの感想を言えば、客観的な事実を述べただけのドキュメンタリー作品です。
原燃の言い分も紹介しつつも六ヵ所の人々の今まで活動等を映し出し、また海外での再処理施設とその周辺の紹介なども踏まえた、といった感じでしょうか。再処理工場賛成でも反対でもなく中立な作品と私の目には映りました。


さらに個人的な作風への感想を言わせてもらえば、NHK系のドキュメンタリー番組に良く似ています。
その為この作品は、多くの人には観賞に当たって苦痛を憶える可能性はあるのですが、しかしその点にこそ私は好感を憶えます。
六ヶ所再処理工場についての一番の問題点は、国民の無知にあると考えるからです。

もしこの作品が安易に反対派の意見を前面に押し出すものであれば、ある種の同情を得る事は容易いでしょう。
しかしそれをするならば、表面上の「怖い」「危ない」「かわいそう」までしか多くの人は掘り下げられず、六ヵ所が今まで翻弄されてきた過去の出来事、日本のエネルギー政策、そしてそれらをとりまく問題の客観的事実を人々の記憶から薄めてしまったかも知れません。

しかし同情を買うでなく、出来る限り現地の人、そして実際起こりうることを客観的に示したこの「六ヶ所ラプソディ」は、人を知識へと正しく導く為の良い材料の1つであると思えるのです。

「六ヶ所ラプソディ」を観る事は、多くの人には長くてつまらない時間をすごすかも知れません。特に六ヶ所再処理工場に興味が無い人はね。
でもじっくりとこの作品を見たならば、少なくとも今まで以上に冷静に日本のエネルギー政策が見えてくるのではないでしょうか。
そういう意味でも出来る限り観て欲しい良作、と言えると思います。

上映後の質疑応答では何人かの参加者から質問や意見がありました。
他の会場がどうだったかわからないのですが、私の参加した会場では反対派がほとんどだったらしく、そのような意見が終始上がっていた感じです。
映画の客観的な作りとは違い、監督からもかなりの多くの意見を聞くことができました。
反対派ばかりとはいえ多くの人の意見を聞くことができたことは大きな収穫でした。

私個人はというと、基本的に原燃サイクルを含む原燃施設には反対です。
しかしながら私からすれば、電力を大量消費しながら代替策等も提示せずにただただ反対する人には違和感を憶えます。
その違和感は原燃関係者がたまに言っているという「原子力で出る放射能は自然のモノと同じ」に感じるモノと同じです。

ちょうど上映後の質疑応答でも参加者の一人が「原子力で出る放射能は自然のモノと同じ」との説明を受けた、と言っていました。
その参加者には申しわけないのですが、実際にそう言っていたのかは私にはわかりません。
が、少なくとも、そのように受け取れる説明があったことだけはたしかなことです。
原燃側が良くいう「再処理施設から出される放射能は自然放射能よりも低い」ということにはある程度の理解はできます。十分に拡散したならば自然放射能よりも低い値を示すことは在り得るからです。
ただそれは放射線量としての話をしているだけであり、放射性物質の種類の話ではないのです。
事実原子力発電所で生成される放射性物質は自然界にはほとんど存在しないモノです。
それは言い換えるならば自然界に在り得ないモノが存在するということ、そしてその影響という意味では自然放射能と同列、とは限らないわけです。
このような違いは文章的には小さいのでしょうが、しかしながらそれを行う側は確実に理解して言葉を選び使うべきではないか、という点に違和感を憶えるのです。

これは一部の反対側にも言える事です。
少し前に、知り合いのブログにマルチポストをして開き直ったようなことを言う反対派の人がおりました(当ブログにもブログ上で反対することを強要してきていました)。
ただその人の言い分では「再処理工場の全ての廃液を検査もせずに全量廃棄する」という曲解が含まれていました。
原燃を信じるならば、再処理工場の廃液は検査の後分けられ、低レベル放射性廃液を海洋投棄する、ということになっています。
その点を棚上げし論点をズラしたり、といった手法をとったその人に対し、私は原燃の説明に対する矛盾と同じ様なモノを感じるのです。

さらにその上で、私はこの問題の背景にはエネルギーの浪費という根本的な問題があると思っています。
つまり日本はエネルギーを使いすぎている、その上での世界的に見てもトップクラスの裕福な幸せな暮らしをしているのです。
その暮らしを享受している人は、少なくとも無下に文句を言えないのでは? と思うわけです。
そしてそれらのことを出来る限り知り置いて、その上で自分で考え判断するべきだと思うのです。
何故なら私の目には、盲信している推進派も、過剰反応している反対派も、同じに見えるからです。

このようなことを質疑応答の間にも思っていて監督に意見を聞こうかとも思ったのですが、残念ながら公民館の利用時間が大幅に過ぎてしまったようで聞けずじまいに終わりました。
片付け後に監督と話せればとも思いましたが、何人も関係者(知り合い?)の方と話していたりといった感じで機を得る事はできませんでした。

それでもこの映画を通じて多くの問題についてさらなる補完ができたと思いますし、また今まで以上に多くの人の意見を知り得たと思います。
非常に有意義な試写会でした。

最後に、
近々みどりうかでも少しシリーズで六ヵ所再処理工場のことを扱おうと思います。
が、推進派、反対派にも好ましくは思われない内容になるかも知れない、と思ってもいますのでその点はご容赦下さい。

▼参考リンク▼
アクティブ試験安全協定締結!(『六ヶ所村ラプソディー』~オフィシャルブログ3/29)

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