「避難して無駄だった」ではなく「被害がなくって良かった」と言えるように

対応悩む自治体(朝日新聞デジタル3/16)

14日夜の地震により18時12分に発表された津波注意報を受け、青森県は八戸市などに「避難勧告を出すべきだ」と伝えたが、八戸市は「津波注意報なら原則避難勧告」とするマニュアルがあったものの市民の混乱を避けるために潮位の影響なども調べた上で独自判断で避難勧告を出さなかったらしい。
これには「本当に危ない時に逃げてくれなくなる」という意味合いも含まれているとのことだが、市の担当者は「20cmの津波だったが、50cmの予測なら70~80cmの津波となるケースもあり、勧告を出すか出さないかは非常に難しく毎回悩むしかない」との旨の発言をしているらしい。これには青森県沿岸が津波注意報であっても岩手県に津波警報が出る場合などには独自に避難勧告を検討することも含まれているらしい。

担当の人は毎回悩まされそうですが、「本当に危ない時に逃げてくれなくなる」というのはまた違うと思うんだ。
何故ならそれは予測出来ない範囲が多分に含まれている情報であり、その意味合いを地道に知らしめるしか無いと思うから。

 
50cmの津波注意報なら、まぁ10cmしかこない場合もあれば、80cmと大きな津波が来る場合もありえる。津波の大きさは地震の規模に比例するとは限らないからね、良い意味でも悪い意味でも。
その上で、運悪く高い津波が来たら、防波堤などにダメージが残る現状では震災前よりも大きな被害が出る可能性がある。

とするならば、少なくとも東日本大震災で津波被害があった市川、湊、白銀、鮫などには、市からアクションがあるべきだったようには思います。

んでこういう避難勧告とかの話になると、「被害がない時には誰が損害(仕事とか売上とか)を保証するんだ」とか「どうせまた実際にはこないんだから避難するだけ無駄」って人がおるんだが、そこは正しい情報を周知していくしかないです。

避難しても何もなかった?
いいじゃないですか。万が一に備えるってそういうことですよ。保険と同じで、イザって時に備えてのことなんです。

もっと言えばね、おらは避難勧告で逃げないことも構わないと思っている。逃げろと言うのに逃げないならば、仮にその結果が最悪のものとなっても受け入れるべきと思うからです。

あまりこういうことを言いたくは無いですが、実際問題として東日本大震災の津波で犠牲になった人の中には、「どうせ津波などこない」と高をくくった人が含まれています。
それは津波警報を出しても高い津波がこなかったから、ではなく、実際には運が良かっただけの経験則を信じ正しい知識を持ち合わせなかった結果に起こった悲劇と考えます。

それを示すかのように、かつて大津波で被害を受け様々な伝承を伝えその伝承を絶やさなかった地域の人々は、多くが助かっています。

実際に大きな津波が来るかどうかを判断することも大事だと思いますが、仮に避難が徒労に終わったとしても「避難して無駄だった」ではなく「被害がなくって良かった」と言えるように、今後市民に向けての更なる教育や情報の周知が必要なのだと私は強く感じました。

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