肉食について~イルカから考える人の食文化~ その2 イルカ漁の問題点とその方向性

個人的には、イルカ漁は日本における伝統漁の1つでしかないと考えている。
しかしながら批難の声が上がるからには、彼等には彼等なりの主張というモノがあって当然だ。
今回はそのことについて考えてみたいと思う。

イルカ漁反対派の人の意見は幾つもあるのだが、まずはイルカ&クジラ・アクションネットワークさんでの「太地イルカ漁に関する声明」を元に考察して見たいと思う。
イルカ&クジラ・アクションネットワークでの声明によると、太地イルカ漁での問題点は主に5つほどあるらしい。以下、勝手ながらこちらで要約させてもらった。

1.繁殖率の高くないイルカが漁の対象とされている
2.定められた捕獲枠が古く見直しもされていない
3.イルカ漁によって地域に棲息する群れが消滅してきた恐れがある
4.捕獲数が実数値か怪しい。
5.イルカ肉が汚染されていて食べない方が良いのに流通されている

これら5つのことが上げられているのだが、それらに見落としている点はないのだろうか。

生物というモノは、その種類や食物連鎖における位置によってその生存戦略が変わってくるものだ。
基本的に、多くの子供を産む生き物は捕食される側の生き物である。仮に親が捕食する側に位置するマグロなどでも、子供は捕食される側の生き物に位置するので多くの卵を産み生存率を高める、という生存戦略をとっているためだ。
それに比べると、哺乳類や鳥類などはまったく逆の生存戦略をとっている。
少ない数の子供を産み親が守り育てるという戦略、子育てをするのだ。そしてその為に、生物の中では比較的長生きをし子孫を残す、という戦略をとっている。
魚類などに比べると、遥かに少ない数の子を産み確実に育てる、数より質をとった生存戦略であると言えよう。

ではイルカはどうなのだろうか。
イルカは海の食物連鎖において上位に位置する生き物であり、かつ哺乳類である。
当然ながら出産頭数は少ない為、生物全体から見れば繁殖率の高くない生き物であると言える。また子供が大人になるまでには、ある程度長い期間がかかる事も想像に難くない。
そのことを考える時、イルカを過剰に捕獲することは、イルカと言う種の絶滅に繋がる危険がある、とも言える。
しかしながら、このことは他の要因なくしては語れない部分がある。
その生き物を支える餌となる生体の存在だ。

エサとなる魚などが多ければイルカの頭数も増える、食物連鎖の底辺が豊かであればあるほど、食物連鎖の上位に位置できる生体数も増えるからだ。
逆にエサとなる魚などが減れば、当然イルカの頭数も減っていくのだ。
そのことを考える時、イルカの頭数調査により漁で捕獲する頭数制限をする以外に、エサとなる魚、さらにはその海の資源調査も重要になってくる。
このことを「1.繁殖率の高くないイルカが継続的に漁の対象とされている」では、より積極的に考えねばならないと思える。

これは言い換えるなら、捕獲枠について論議する時にはイルカ以外の海産資源の調査もしなくてはならない、ということでもある。つまり「2.定められた捕獲枠が古く見直しもされていない」についてだ。
このことは他の漁業では珍しい事ではない。
資源保護という観念から漁の水揚げがあまりにも少ない場合、状況によってはしばしの禁猟期などを設けるのは当然のことなのだ。
つまり、イルカ以外の水産資源も含めた広域調査を元に、捕獲枠の増大減少も含めた意味での捕獲枠見直しを考える、というのが正しい姿勢ではないだろうか。

さらに言うならば、海の資源というものは人の生活の末に存在しているということも忘れてはならない。
人の流す生活廃水により、河川の富栄養化が進んでいる。それによって赤潮などといった植物プランクトンの大量発生を生む原因になり、酸欠によって魚などが死滅していく。
結果的にイルカを含む、大型肉食水棲生物が生存できるエサが減っている=棲息できる環境が減ってきている、とも言えるのだ。

それらのことをふまえると、「1.繁殖率の高くないイルカが漁の対象とされている」と「2.定められた捕獲枠が古く見直しもされていない」には賛同する部分も多くあるのだが、しかしながらもっと広い視野で海資源を調査することを提案しなくてはならないのではないか、とも思える。

「3.イルカ漁によって地域に棲息する群れが消滅してきた恐れがある」と「4.捕獲数が実数値か怪しい。」については、これは環境云々とはまた別問題として調査するべきではないかと思う。

イルカの捕りすぎで特定の地域のイルカの群れが消滅したかどうかは、ある意味経験則的にわかっていることだと思う。
太地町で言うならば、いやしくも数百年に渡りイルカ漁が続いてきたことから、少なくとも近代まではある程度安定してイルカが生息していただろうことが想像できる。
そのことについては、いたずらに論旨を荒立てる必要もないことに思う。

またこのことを考える時、生物いうモノは常に一定の頭数でいることはほとんどありえない、のだと理解する必要がある。
意外に思われるかも知れないが、生物というモノが安定頭数のみ存在している地域は極希である。特に海の場合、安定ではなく増減によって保たれているふしがあるのだ。
例えばサバやイワシやサンマなどは、周期的に増減を繰り返すことがわかっている。サバが増えている次期はイワシやサンマは減り、次第にイワシの周期に移り、さらにサンマの周期、というように、短期的に見ると生き物はかなり激しい増減を繰り返しているのだ。
しかしながら長期的に見た場合、それらの生き物はある程度の安定をしているとも言える。
こと人間の意識では前年と少しでも違えば「絶滅しそうだ」「増えすぎた」と一喜一憂してしまうのだが、実際には中長期的に見ていかないとわからないのが自然である。

それらのことをふまえ、「3.イルカ漁によって地域に棲息する群れが消滅してきた恐れがある」についてはまだまだデータが足らず、十分に考慮すべきであるが結論を急ぐべき事柄ではないと考える。

「4.捕獲数が実数値か怪しい。」についてはもっと低いレベルでの話だ。
結論から言えば、イルカ漁師の中で正しくない捕獲数を申告した人は0ではないだろう。イルカ漁師の人たちには悪いが、人はそういう生き物だ。
どんな産業でも細かく見れば、不正をする輩などは発生するものである。
私がレンテルビデオ店員だった頃、常勤7人中4名が不正行為をしていたことがある。常勤でマジメに働いていたのは私と社員2名の計3名、半分にも至らない数だ。
実際多くの企業で、けっして少なくない一部の人は不正をはたいているはずだ。何故なら人の心は非常に脆いものだからだ。
不正が悪いこととわかっていても、「自分が得をする」とか「これぐらいはいいだろう」という甘えが出てくる、そしてそれに勝てない人も存在する。
だからこそ、公的機関などから監査役などを入れるべき、というだけの話である。
つまり「4.捕獲数が実数値か怪しい。」に関してのみ言えば、相手を批難するだけでなく、それを改善する提案を反対する側も出さねば意味をなさないと思う。

さて、私がこの5つの中で一番問題と思っていることは、
「5.イルカ肉が汚染されていて食わない方が良いのに流通されている」であったりする。
ただ私が問題と思うのは、その汚染に対する姿勢についてである。

つづく

▼イルカシリーズ▼
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その0
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その1 イルカ漁は虐待行為か
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その2 イルカ漁の問題点とその方向性
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その3 続・イルカ漁の問題点とその方向性
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その4 高等生物とは何か
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その5 イルカの畜産生物としての適性について
肉食について~イルカから考える人の食文化~ その6 心と命

3件のコメント

  • イルカ人間 「イルカと海へ還る日」

    先日のイルカ漁の話以降、イルカについてネットで暇なときに 調べています。 調べる…

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    りうかさん、ごめんなさい!
    眠くてミスしました!
    トラバ削除をお願い致しますm(_ _)m
    しかもひどい駄文で・・・重ね重ねごめんなさい。

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    おけおけ、トラバ1つにしておいた。
    なんとか早いうちにイルカシリーズ完結したいです、太平洋戦争関係(身内話)もちとUPしたいもんで(=ω=A;

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