3月17日…その翌日、八戸赤十字病院の医者は「それ事故と関係ないから」と吐き捨ててくれたっけ

3月17日に2年間務めた会社をやめました。
翌日から新しい会社で仕事をし始めて今日で3日、明日は休みです。
まだまだ仕事は半人前以下で覚えることもたくさんありますが、何やらいろいろと気を使ってもらえており、またいろいろと用意もしてくれ、なんとかがんばっていけるかなと思っています。
準備もあるので7時30分には出社、8時から仕事で10時と15時には小休憩、お昼は普通に1時間休憩、16時30分には片付け始めて、帰るのは17時ちょい過ぎぐらい。通勤に片道1時間10分も掛かるけど、ちゃんとガソリン代も出るし、前の会社の拘束時間はなんだかんだで似たようなもんだし…あぁ、これが普通のマトモな会社なのだなと思ったり何だり。

7年前の3月17日に、私は交通事故に遭ったんですよね。
国道45号線城下付近で信号待ちで停車中に追突され、6台玉突きで私の車は納車半月で廃車となり…
加害者の公立中学校教師は当初ちゃんと保証すると言っていたがマトモに車両の保証すらもせず(新しい車の代金は他から何故か出してもらって補填、代車については半分しか出さず)、その後、後遺症でまともに動けなくなり…

 
そんな私を2年前に拾ってくれたのが前の会社の専務。
勤務形態はある意味ブラックで、休みもマトモにもらえない、通勤手当も赤がたくさん、何でもかんでもコチラが購入して使わなければならないなど金銭的に辛かったけど、それでも新しい会社に繋がったのはそこでがんばったからでもあり、専務には感謝しています。部長の一人には私の保険証発行まで8ヶ月、娘の保険証発行までに2年とヒドイ目に合わされ、今もまた制服等をクリーニングして(私の所属していた場所ではなく遠い)本社に返さない限りは離職票発行の手続きを始めないなど言われていますが、まぁでも今の会社で一人で黙々とある意味での生き物相手に仕事をしているしで…

2008年3月17日からもう7年以上経っているんです。
でも私の後遺症は治っていません。悪化し治療増えてます。そのうち神経の薬も量が増えるかもね。事故直後に運ばれた八戸赤十字病院、事故翌日に専門医がちゃんとした診断するとか言う話だったのに、医者はレントゲンも撮らずに「それ事故と関係ないから」と吐き捨てたのにね。

年間10万円以上、72時間以上掛けて治療してますが、いつまで働けるかというのが正直なところ。その治療費のために仕事しなくてはならないのもおかしい話だよね。

正直、いろいろ思いがあります。

今の仕事に就けたのは、Tさんのおかげです。
Tさんは「何もしていない」と言い、今は遭うことも出来ないけれど、Tさんがあの時あの場所で後押ししてくれたから今の仕事の面接を受け、製造から40年かつ後遺症でポンコツ仕様に加えて前の会社は2ヶ月前に言わないと辞めさせないという逆条件付けをしたのに受かってしまって…
直接ちゃんとTさんにお礼を言いたかったし、たくさんお礼をしたかった。
今もそのことが引っかかっていて、辛くなる。

全てに等しくに

↑こんな感じに辛い。分からないだろうが。

新しい仕事で年収は確実に上がる。
新しい職場では安定した休みがある。
新しい職場では理不尽な扱いはされない。
新しい職場は昔から望んでいた農に関われる。
ただTさんへのお礼だけが宙吊りのまま胸を苦しめる。

これだけのことをもらったのだから、それが本人の意識しない発言が元であったとしても、やはり感謝せずにはいられない。

ただただ辛い。

それでも幸いにも、今の仕事は淡々としていられる。
もう出来るだけ、人に直接関わらずにいたい。
人は少し賢いサルでしかないのに、それもその多くが教育というショートカットで本来到達できない場所に立ち勘違いしているだけなのに、それを認めず言い訳に終始する様を見るのが気持ち悪い。
私が関わる彼等のように、ある意味では人のエゴのために存在する彼等のように、ただ生きれたらいいと思う。

結局、Tさんへのお礼がマトモに言えないのが、いつまでもいつまでも胸の奥を腐らせ続けるのかもしれない。

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