例えばの話…マイナス的な幸せ

八戸に限らずだが、今時は年収200万にも満たない状態のまにまにうだつのあがらない状態を延々と続ける人は少なく無いと思う。あがいてもあがいても抜け出せず、ただただ沈まぬようにとバタバタするのが精一杯でね。
んで自称エライ人や成功している人は言うんですよ。

「もっと頑張れ」
「やっていないだけだ」
「やれば出来る」

いや、出来ません。
ただそこにいて交通事故の被害者になっただけで、加害者にはたかり呼ばわりされ、搬送された日赤病院では仮病と決めつけられ、加害者の任意保険にはボロクソに言われ、事故から6年以上経った今でも後遺症は完治しないどころか悪化して薬が増え治療も増え、後遺症のせいで働くチャンスすら次々奪われ、やっと就いた仕事でも治療費を稼ぐのが精一杯で症状は悪化し、薬を飲んでいるから腎臓や肝臓への負担が増し薬剤師に心配され続け、病院でも倒れたので看護婦さんにも心配を掛けている状態で、これ以上何をどう頑張ってどうやれば出来るのでしょうか?

とまぁ、程度の違いはあるけれど、そういう状態の人は多いと思うんです。
んでそういう状態だから、結婚できないだとか、将来がないとか、そういう不安があって動けない人もいると思うんです。
つまり、お金がないんです。

でも逆はないのでしょうか?

 
政治家な自称偉い人は言います。

「もっと給与を増やします」
「地域を活性化させます」
「経済を立て直します」

いや、無理です。
人口減るもの、日本人は海外の…特に隣国のアジアな国々の人のようなエゲツナサ持ち合わせないもの、格差広がるだけだもの、たくさん稼ぐ人ほど税負担が少ないどころか脱税しーので負担は下に人の押しつけだもの。

でもそれらは全て、必要なモノを上回るお金があればイイという発想を元にしているのよね。
じゃあ逆に、必要なモノをもっと安く出来ないのかな?

具体的な話。

八戸市でも少ない年収で頑張っている人がいっぱいいる。少ない年収で家賃払って食べ物買って仕事のためのモノ買って…ってね。
んで多くの八戸市民は仕事のために、車を買っている。

てことは、車は買えるんだ。というか買わないと就けない仕事多すぎだけんども。

じゃああれか、
車を買うぐらいの値段の家とかあればいいのか?
土地+建物=100万円とか。

出来るかどうかじゃなくって、それがもし出来たなら、家賃から開放されるわけだ。車のローンライクに買ったとしても、月2~3万円を数年で完済ってね。
ざっくりイメージだと、たぶんそれだと安い小さな土地(坪5万円で10坪とか?)に建坪3坪もないような小さな家をセルフビルドとかな感じか。
そんな小さな安価な存在でも、それならもし失業とか病気とかあった場合に、最低限の雨風をしのげる場所を手に入れることができる。

そういう今の時代から見ればマイナスとも思えるような幸せを、自称エライ人達は考えてはみないのだろうか。自分等のことではなく、搾取される側のこととして。

そういった違う形の幸せもあるのであれば、おとされた私でもまだ生きていて良いのかも知れない。

1件のコメント

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    明らかに、
    「目線」
    が片方向というか、乏しいというか・・・。
    と言う点は感じていたところです。

    ただ、安くするという発想だけだと、
    また利権だとかたかりだとか発生しそうなので、
    吟味必要だとは思いますけども・・・。

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