あらゆる意味で「○○だけの議論はしないで」ですよね

存続・中止微妙な値 核燃サイクル費用(asahi.com10/26)
核燃サイクル 「費用だけの議論しないで」(YOMIURI ONLINE 10/26)

リンク先記事で、国の原子力委員会の小委員会が使用済み核燃料を再処理して使うと、再利用しない場合の2倍のコストになると発表し、青森県の関係者からは「コストだけでなくエネルギー政策全体の中で議論してほしい」「比較がおかしい」とツッコミがありました、みたいなことを扱ってはる。
詳細はリンク先記事を参照いただくとして、

何事に置いてもね、何か1つの要因だけでは判断しちゃダメなのよ。
んでその上で、核燃サイクルと、地元の経済、いやもっとハッキリ言えば地元民の生活を守ることは、ちゃんと分けて考えて欲しいと思う。

今回示したモデルは、ありえないモノよね。ある意味青森県とかのツッコミは正しい、おらが思うのとちょっと違うが。

 
まず現状の核燃サイクルのモデルは、再処理は半分で残りは中間貯蔵し、中間貯蔵している間にお金を積み立てて利息が増えてうれしい感じになった上でのモデルよね。まぁそれ以前に再処理は上手くいっていないし、MOX燃料は余ってきているんどもね。
ところがそれを全部再処理って、まずその発想がおかしい。と言うよりも、現在海外で再処理されたMOX核燃料&廃棄物が続々と帰ってきているのに現状ちゃんとMOX燃料を消費できていないのにさらに増やすって発想がありえない。単なる数字遊びだべかね。
さらに再処理しないで埋めるって、その最終処分地すら決まっていないのに何を言い出しているんだべ。

計画通りにいっていない現状プランに、その計画すら出来無いのに全部再処理してみようプラン、そして処分地が決まっていないのに再処理やめようプラン、なかなか激しすぎる偏った比較をしたもんだ、ってやはり思う。

でもね、あれは妥当な価格じゃないかと、素人考えだけれども思うよ。
本来1回こっきりの燃料を2回使えるようにするってんだから、2倍のコストまでなら許容範囲内だべ。元々核燃料に限らずリサイクルなんてお金がかかるものでね、核燃料以外の資源のリサイクルだって家庭や各事業所での分別という無償奉仕があるから強引になりたっているだけであって、それを全て事業者がやる核燃サイクルならコストが高いのは当たり前。
だからむしろこの2倍は、当たり前のコストでしかないと思います。

ただここで見落とされていると言うか取り扱っていない部分が問題。
それは再処理した際のゴミ=放射性廃棄物の量。
おそらくですが、再処理しないで1回の使用で埋蔵をするならば、ゴミの量は半分以下になるでしょうね。もちろん大気中や海洋中に垂れ流す放射性物質の量も減ると。
仮に再処理することでゴミが2倍になれば、最終処分場の規模も倍になると。もし本当に安全ならば都心の地下に
置けばいいのに。

ってところまでが、再処理したとかしないとかの辺りへの意見。

んでそれ以外にさ、核燃サイクルをやるもやらないも国の方針次第なんだからさ、それに従事している地域住民へのいろんな援助は継続しようね。
もし再処理工場が停止になったなら個人的にはとりあえず喜ぶんども、それ以外にそこで働いている人と地域住民への経済的な保証などもちゃんとしてくれないとさ、また地方に国の失策のしわ寄せが押し付けられることになるじゃないですか。
おそらくそこいらも不安で青森県の原発推進な人は「原子力は必要だ!」って言い張るのよ。

ってのが今回の報道に「判断ポイントはコストだけじゃなか!」って言っている人がいるってことへの意見。

その上でちょこっち独論を吐かせてもらうならば、国が主導で新エネルギー開発および推進をし、脱原発どころか脱火力発電も目指すべきと考えます。

さて、原子力については置いといてと、まだまだ不確定要素が多すぎて使うべきではないと思うけどね、

おらが子供の頃には「あぁもう2000年代の早い段階で石油なくなるぽ」って言っていたのよ。
でも新しい油田が見つかったり、天然ガスとかもより使われるようになったり、さらには採掘技術の向上で利用可能な量が増えたりで、かなりの延命がなされていると。サッカーで言えば後半45分のロスタイムがなんとビックリ60分もありましたー、みたいな話でね。

でも石油も天然ガスもウランも、あと石炭も、ある意味過去の遺産なのよ。
石油には無機起源説もあったりしますが、それでも長い年月を掛けて地球内部で作られてきた物質であることは間違いない。ウランなんかもむかーしむかしに出来たものの成れの果てと言えなくもない。
んで石油や石炭なんかは、工業では超重要な物質で、現状その代替物質を安価に生産する技術を人は持ちえていない。

そう考えたら、石油や石炭を燃料にするのはもったいないです。

でも現状の社会を考えたらいきなり「明日から石油は燃料として使っちゃいけません」とは出来ないので、まだ長いロスタイムがあるうちに石油や石炭を燃料として使う社会から何とか脱却し、また原子力もツケが大きすぎるので脱却する方法を模索した方がいいのでは? って思うわけです。

ハッキリ言いますが、便利に慣れると、余程の仕方がない事態…超大規模災害とかでもない限りは戻れないんですよ。
お肉は美味しいです。でも世界中の人が肉食をやめて植物だけを食べるともっと多くの人が植えずに済みます。でもお肉を食べた人がそれをやめるのは超難しいです。
それと同じで、電気に囲まれた便利な生活を50年前、100年前の生活に戻すのは難しいことです。
だから代替技術の開発にもっと注力するべきではないかと考えるんですよ、おら個人としては。

個人的には核燃サイクルには反対ですが、いきなり全ての原発が停止したら成り立たないことも理解します。
でもだからこそ未来にツケを回さない技術を、方法を、生活スタイルを、模索したいと考えるのですが、どうすか?

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