日本原燃の社長さん…そこはリスクではなくデメリットですぜ…

asahi.com:岐路の核燃料サイクル(asahi.com10/20)

リンク先記事にて、日本原燃の社長が核燃サイクルの必要性を強調してはる。
んで「サイクル含めて原子力は必要だもん!リスクを抑えて使い続けるべきだもん!!」「核融合の実用化には100年以上掛かるもん」「太陽光や風力も技術革新が必要で、原発1基分の電力を得るには膨大な面積が必要というリスクがあるもん」「化石燃料も温暖化のリスクあるもん」「原子力込みでのベストミックスしかないもん」「核燃サイクルでプルトニウムで発電すればウランの節約になるし、高速増殖炉が実現すれば数千年分のエネルギーが確保できるもん!」などと言ったらしい。

さて、まぁいろんな意見はあるにしてもだ、太陽光発電なりで膨大な面積が必要なことがリスクってのはいただけない。
物事にはメリットとデメリットがある。そしてそれとはまた別にリスクがある。
メリットとは利点であり、デメリットは欠点であるが、リスクとは欠点と言うよりもむしろ危険のことを指す言葉さね。

つまり、太陽光発電でパネルを広げる膨大な面積が必要なのはデメリットだが、火力発電でCO2が大気中の増えるのはデメリットというよりはリスクであって(まぁ地球温暖化の主犯が人間の活動由来のCO2かは怪しい部分もあるけどね)、原子力発電で事故が発生した際の放射能汚染はデメリットではもちろんなく明らかにリスクだし、再処理工場で事故が発生していなくても稼働する限り放射性物質を空気中および海洋中に流し続けるのはリスク以外の何物でもないと、そこいらが引っかかる。

 
まぁ新聞なんてけっこういいかんげんな報道もするもので、勝手に要約してデメリットという単語をリスクに統合した可能性も否定できないんども、もし原燃社長があえて「太陽光発電で広い面積が要るのがリスク」と発言したのであれば、核燃サイクル側に都合の良い誘導発言なのだろうなぁと、そう感じます。

とは言え、そこで感情的になってはいけないのですよ。

書ちゃ食ちゃ寝:市民も勉強を /青森(毎日jp10/20)

↑上記リンク先で、「青森市議会が議会報告会を開催したが、市民の側も感情的に声を荒らげるではなく、冷静な態度を心がけ、意見を言う際には批判のみに走るでなく、代替案を提案してみてはどうか。市民も日ごろから市政に目を向け勉強していくことが大事」との旨を言っているが、これは核燃サイクルについても言えること。

感情的に「原発なんてそんな怖いもの動かすなんておかしい(@皿@ムキー」って言うのは分からんでもないが、でもそれ(原発前廃止)をいきなりやればどうなるだろう?

普段使える電気はかなり制約され、しかし電気代が安くなるとは限らないという未来は目に見えている。
何故なら現行の電力供給システムは、調整して発電することが危険で出来ない原子力発電を安定運転できる状態でベース電力に使い、消費電力の推移に合わせ発電量の調整可能な火力発電などで増減分を調整する、という仕組みなのだから、明日からいきなり廃止と言われてもどこかにしわ寄せがいくわけだ。

それよりももっと、冷静にどうしていけばいいかを考えるべきではないだろうか?

核燃サイクルの意義自体にも疑問があるが、それ以前になぜそれが必要とされたかを考えて欲しい。それは近い将来に資源が枯渇すると見られているからだ(一説ではウランは石油や石炭よりも早く枯渇するらしい)。
だから再度原発で使えるウランが増えて、ついでに原発で燃やして燃料に出来るプルトニウムも内包している使用済み核燃料を再処理して、再度燃料を取り出そうという話、それが核燃サイクルだ。これが核燃サイクルのメリット、つまり使える燃料が増えるって話。
しかし再処理工場は原子力発電所と違って全ての放射性物質を封じ込める施設ではなく、事故もなく安全に運転している状態で大気中および海洋中にプルトニウムを含む放射性物質を流し続けるというリスクがある。
そしてその再処理のためにはエネルギーや資源を投入して、その結果膨大な量の放射性廃棄物も生産するというリスクがある。これは本来はリスクだけではなくデメリットも含んでいるはずだが、最終処分場が決まっていない状態で生産し続ける方向に向かっているというサイクルの根本の解決が成されていない為、リスクの部分が多いといえる。

その核燃サイクルに取って代わる太陽光や風力発電の大規模プロジェクトについても、世界システムとでも言うべき広大な計画は実現にはまだ程遠く、地域においての自然エネルギー利用についても蓄電設備や大容量発電に耐えうる送電システムの構築なくしては原子力発電に頼り続けるという現状には代わりがない。

と考えると、まずは無駄な電気の浪費を減らすという当たり前のことに行き着きます。それも一時的なものではなく、継続的な動きとしてね。

そこまでした上で意見するのが本来あるべき形ではないかと、八戸市主催のワークショップで文句を言うだけで自分では代替案も出さず実際に動くこともしない参加者を見、そしてそんな参加者をより優遇するまちづくり文化推進室の行動から、強く感じている次第です。

あともう一言言わせてもらえれば、六ヶ所村の村民を安易に批判することは考えものだ。

六ヶ所村は再処理工場以前に、何度も国の政策に踊らされてきたのよ。その度に畑を捨て、漁を諦めた人がいて、でもその計画が破綻して、でも元の仕事にも戻れない、そういう背景があり、かつて六ヶ所村で再処理工場に反対の声を上げた人々もいたが生活のために苦渋の道を選んできていて、しかもその間、全国からはほとんど支援もなく、今になって酷い言われ用をするのではたまったもんじゃない。

そこを含めての代替案、例えば新エネルギーのための研究施設を六ヶ所村を始めとする原子力関連施設が立地する地域に置いて雇用を確保するなども含めたことを考えていかねば、結局誰かがバカをみるだけなんですよ。

今でも青森県は、国のために多くの負担を強いられている。まぁ「その代わりにたくさん金もらっているだろうが」って言う人もいてある意味その通りだとは思うのだが、でもそれは東京などの大都市の汚い部分が回ってきているという部分も忘れてはいけない。

東京都に原発を作り、東京都に再処理工場を作るならば、よほどに納得はいくんですけどね。

まぁせめて感情論だけで動かないように、眉唾してどれが正しい情報なのか、どれがウソでどれが論点ずらしで誘導なのかを見極めて、考えてみたいものですな。

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