東日本大震災直後に現場に救助に入った人の日記

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)~現場から~(謎の巨大生物UMA)

リンク先記事は、東日本大震災直後に救助に津波で大きな被害があった地域に救助に向かった方の日記です。
リンク先記事の内容はかなり精神的に厳しいので、興味本位程度では覗かない方がよいと思います

リンク先のサイトは本来、おらが個人的な趣味でよく見ているサイトです。UMAとかをおもしろおかしくかつまじめに扱う、冗談めいた雰囲気を醸し出しながら実は真面目な科学的考察をしてくれる稀有なサイトです。
そのサイトの管理人さんが本業の関係などもあり、地震・津波発生直後に現地に入って行った活動の記録です。

リンク先の記事は実はかなり前から何度も読んでいて、万人に紹介すべきではないと思うと同時に、出来るならばこの事実を知り忘れずにいて欲しいと個人的に思っていました。
しかし八戸でさえ震災直後には多くの人がパニックにおちいっており、またそれは他の地域でもある種同様でもあり、紹介を控えてきました。

東日本大震災発生から1ヶ月を過ぎ、少なくとも八戸ではある程度の落ち着きが戻ってきており、紹介記事を書かせていただきます。

 
私事ですが、3月11日の地震発生後、八戸でも大津波警報が発令されたため、津波により大きな被害が発生することが必ずしも否めない実家から子供を連れ、途中デイサービスで祖母を引き取り、高い方へ避難、その後避難所に移動し喰うことも寝ることもせずに祖母の面倒を見続け、翌朝になって実家に戻りました。
幸いにも実家には津波が到達しておらず、いちおう料理系のプロである妹のおかげもあり、停電していたものの飢えることもなく過ごしていました。

もっとハッキリ言えば、停電していたから事態を把握できなかった部分が多いです。ウィルコムも不通でしたし、ある程度ケータイ電池を温存するために3Gでの通信も最低限にしておきたかったという部分も関係しています。

その後電気が回復し、テレビに映った映像は想像を超えていました。極薄の特別編成の新聞などで八戸や岩手の被害の写真は見ていましたが、テレビに流れる映像はそれどころではないものだったからです。

その時以上の衝撃を、リンク先記事を読んで私は覚えました。

想像を絶するような凄惨な景色、目の前で亡くなる人、それすら確認できない多くの人々、あまりにも足らない物資と人手、いつまで待ってもきてはくれない増援部隊とその原因となった政府の対応。
何が正しくて何が間違っていたとかではなく、ただそこで実際に起った現実がリンク先記事が書かれています。

個人的にはリンク先サイトの管理人のことは、私の考えと合致しないまでも他の考えとして、盲目的な考えでも都合の良い部分抽出でもない理詰めの考えをしていることから尊敬を覚えています。
でもだからこそ、あの管理人がここまでの文章を書いたこと、いろいろな意味でショックでした。

おそらくいずれは様々な検証や考察が進み、問題点や止むを得ない部分なども整理されていくのだと思います。知識として、技術として、あるいはマニュアルとしてなども含めて様々な形で。
ただ実際に経験した人の発言はそのような理屈ではない、実際に感じたことであり、実感したことであるわけです。

それらの人の声も忘れずにいたいと思っています。