「うちのカメ」

うちのカメ―オサムシの先生カメと暮らす

久しぶりに図書館で借りてきた本で気に入った本が「うちのカメ」です。

筆者が飼っているクサガメとの生活の記録よった話なんども、まぁそのカメの適応力の高いことと言ったらね、さすがだと思いました。普通はそこまで育てるのが意外に難しいんだけどね、カメって。
あとドッグフードやコイの餌を食べているのもある意味納得、熱帯魚もそうだけれども、専用の餌って何気にふっかけていることがあるからね。稚魚用の餌なんか熱帯魚基本食フレーク状をビニールに入れてモミモミすれば半額以下のコストになったりするからねぇ。それと同じで下手な情報に踊らされずにいる辺りがステキ。

んでね、そういう日々のある種表情豊かとも人間味あふれるとも言えるクサガメのカメコさんもステキなんども、最後の方の文章が個人的に気に入った。114Pの「カメとヒトとのつきあい-飼育について-」のコンラート・ローレンツ博士がカメを飼うことのむずかしさを的確に語っている部分の引用をさらに引用して紹介

『「飼いやすい」という性質は、「飼える」とか「抵抗力がある」とかいう概念とはまったくきりはなして考えるべきものである。われわれが科学的な意味で生物を「飼う」といったならば、それは、狭いあるいは広いおりの中で、その動物の全生活環をわれわれの目の前で展開させる試みをさすのである。けれどもじつに困ったことに、たんに抵抗力が強くて死ににくい動物、もっとはっきりいうならば、死ぬまでに長い時間かかるにすぎない動物を「飼える」というのがふつうである。実際には死ににくいだけで、けっして手数のかからぬものでも何でもない「飼える」動物の典型的な例は、ギリシャリクガメである。無知な飼い主がしつらえた不十分な条件の下でも、このあわれな動物は三年、五年、あるいはもっと長い間生きている。そしてもはや回復のしようもないほどにまいって死ぬ。だが正確に言えば、彼女は「飼われだした」その日から死に始めるのである。』

この言葉、ある意味ペット飼育の本質を貫いていると思います。

アクアリウムでもよく勘違いしている人がいます。
それは飼って1ヶ月経って「水質完璧」とか言う人たちです。

魚種にもよりますが、まぁ1ヶ月死なないだけなら大ポカしなければ余裕な種は多いです。
でもね、そんなのは所詮、まだ死なないだけなんですよ。

そういう言葉は大型種や長寿種なら最低3年、短命種でも最低1年ぐらいは育て続けて言って欲しい言葉よね。

でも実際には1ヶ月死なないだけで簡単だと思い込んで水槽や魚を増やしまくる人が多い。
もちろんそれらは他のペットでも起こり得る。
人は愚かなものだと思います。おらも含めて。

だからおらも繰り返し言いたいです。

『ペットを飼うなら最後まで、その死を見届けるまで』

んであとは自己弁護の為の密放流だけはしないで欲しいなと、この本を読んで改めて思いました。
密放流するぐらいならおらにクレ(@ω@

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