目に見える殺生、目に見えない殺生、
外来魚リリース禁止 鳥取、11月から1年間(山陰中央新報9/3)
鳥取県内水面漁場管理委員会がブラックバスやブルーギルなどの外来魚のリリースを禁止するという内容がリンク先記事に載ってはる。
まぁ内容的にはよくあるような、外来魚問題への取り組みの1つとして試験的にリリースを禁止しますということなのだが、リンク先記事に少し引っかかる部分が合ったので紹介。
気になったのは以下の部分。
>スポーツフィッシング愛好者のリリースは「生き物を殺生しない」というのが主な理由とされるが、
この部分はたしかにスポーツフィッシングをする人の言い分の1つではあるのだが、未だにこのようなことを言っている人がいることに違和感を覚えるのです。
というのも、外来魚のスポーツフィッシングでのキャッチ&リリースは、目に見える殺生はしていなくても目に見えない殺生をしているからです。
スポーツフィッシングを簡単に言ってしまえば、釣ることは楽しむが魚の命は奪いたくない、という釣り方です。
釣り上げた時点で魚が弱っている可能性は否定できないとはいえ、自然下にいる魚との勝負を楽しみつつ魚の命をできるだけ奪わないという姿勢は、けして悪くはないと言えるでしょう(魚にしてみれば釣り自体が迷惑な話だとしても)。
そういう意味でスポーツフィッシングは『出来るだけ殺生をしない釣り』と言っても過言ではありません。
でもそれは、本来そこには存在しない魚種に対しても当てはまるのでしょうか?
日本の河川や湖に棲息している外来魚のほとんどは、人の手による密放流が原因で存在しています。
密放流された生体はその環境に適応できなければ死に絶え、適応したならばその地域の他の生物の生息域を奪いながら生存していくことになります。
これは言い換えるのであれば、密放流は人の目に直接は見えない形で本来起こらない形で何らかの命を奪っている行為、つまりは目に見えない殺生であると言えます。
これはブラックバスなどのスポーツフィッシング対象魚に限らず、観賞魚や商用として飼育してた生体はもちろん、園芸植物やカブトムシなどの虫などにも言えることであり、「殺すのはかわいそう」と密放流するのは簡単ですが、実はその行為の裏では非常に多くの生き物の生き死にが関わっているのです。
このような事実を知った上でも、外来魚をスポーツフィッシングの対象としている人は胸を張って「生き物を殺生しない」と言えるのでしょうか。
リリースという行為自体が命を大事にするものであったとしても、そのリリースする生体そのものが本来の自然に悪影響をおよぼすのであれば、外来魚のリリースは他の命を刈り取る行為に成り下がりはしないでしょうか。
このようなことを考える時、今回のリリース禁止自体はとても有意義なものであると言えます。
目の前に見えることだけでなく、その行為の延長線上に何があるのかを、釣り愛好家だけでなく生物に関わる全ての人に考えて行動して欲しいと切に願っております。