「ヒロシマ爆心地―生と死の40年」を読みました。

ヒロシマ爆心地―生と死の40年

八戸市立図書館から借りてきた「ヒロシマ爆心地―生と死の40年」という本を読みました。
20年程前に出版された本で、1985年に放送されたNHK特集『爆心地・生と死の記録』とその後の取材をまとめた本で、内容はと言うと被爆直後に半径500m圏内の爆心地にいながら奇跡的に生きのびた人たちの声をつづったものです。また当時得られた情報を元に行った科学的な検証等も載っています。

出版から20年以上経過しておりますが、その内容を読むに当たってはどんな言葉を口にしていいのかにも迷うほどに当時の状況がありありと感じられ、と同時にこの覚える感覚は当事者が実際に味わった経験のほんの欠片分もないだろうということを思わずにはいられないものであり、ただただ眉をしかめるしかできませんでした。

被爆者の声の多くは戦争や原爆がどうとかいうことではなく、自分だけが生きのびてしまったということへの想いが強く現われています。
多くの人が即死、あるいは数ヶ月で死に至ったという爆心地の状況下にあっては奇跡的に、あるいは偶然に逃げるだけの負傷ですんだ者にとっては、ある種生きていること、そして逃げてしまったことが何時までも心に焼きつき忘れることもかなわずにいたのでしょう。
こうして言葉を並べる私が本当には知る由もないほどに心をえぐったであろう原爆、それが事実存在していたということを断片的に感じるしかないわけですが、わずかな欠片しか受け取れないであろうにも関わらずにこれほどにも心に残るのは、それだけこの本に書かれてある被爆者の言葉が真実であるということなのでしょう。またあるいは私自身が人の生んだ核という力へ、思うところが少なからずあるからなのかもしれません。

いずれにしてもこの本は、出来ることならば多くの人に読んで欲しい存在だと言えるでしょう。
理屈や可能性だけでなく事実の言葉が載っているのですから。

ただ同時にこの本は、ある種の影響も与える本であるとも私は感じました。
それは非核への強い感情です。

非核が悪いとは言いません、私も大別すれば非核に傾倒するものですから。
しかし現在の核、特に原燃に関する問題は原爆と同列に並べるのは強引であり、その背景を知らずに安易に非核に転ずるのは早計と思うからです。

しかし現実として、原発は原爆に近いような被害を及ぼす可能性を内包しています。どんなに「事故は起こらない」と連呼しようとも、人が成す事である以上は無事故でトラブルがないというモノ自体がまずありえないからです。
そういう意味では、この本の内容はいつかどこかで起こるかもしれない原発事故やあってはならない戦争への警鐘であると言っても過言ではないでしょう。

このような本を見ることは精神的にも楽ではありません。
思うところはあまりにも多く語り尽くせませんが、
この本にあるような事実は忘れてはならないことの1つなのだと思います。
そしてその書かれている内容は、今もなお続いている現実であるということ、せめてそれを忘れずにいなければ…ただただそう感じました。

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