再処理工場も考えるべき問題
2006年8月4日
「汚い爆弾」の原料回収 米ロがチェチェンから(Web東奥8/4)
リンク先記事でチェチェン共和国内の工場跡地に放置されていた放射性物質の回収に関する記事が載ってはる。
リンク先記事に出てくる「汚い爆弾」とは、平たく言うと放射性物質を火薬などで撒き散らすような爆弾の事。
通常の核兵器は核反応を利用する為にある程度の高い技術力等が必要になりますが、汚い爆弾は高い技術力等を必要とせずに作成可能と言われています。
汚い爆弾は核爆弾ほどの破壊力等はもたぬものの、放射能汚染という意味では核兵器に遜色はなく、多くの生き物に影響を与え命を奪い土地を汚染する、そういう存在であると言える。
この汚い爆弾にも転用できるプルトニウムは、六ヶ所再処理工場でも生産(再処理)されています。その利用先も決まらぬままにかつてのプランを順守する事だけを目的に。
そのことを考える時、原燃の「農家が泥をかぶるように、作業員は汚染されて当然」とばかりの低い意識はいかがなものかと思う。
それだけのモノを扱っているのだという意識を原燃は再認識するべきではなかろうか、と、リンク先記事を見て私はふと思ったのだ。