街の魅力はどこいった

八戸の中心街 7割の学生「自慢できない」(デーリー東北12/2)

八戸短期大学ライフデザイン学科の高橋俊行教授が同学科の短大生に対して行ったアンケートによると、八戸中心街に魅力を感じていない若者がいっぱいいるんだそうな。
んで今回は99年に市内の高校生200人にも同様のアンケートを行っており、今回中心街でのボランティア活動に参加した45人の同学科生(つまりは比較的中心街に対して関心がある学生)を行ったものとの同項目が6項目ほどあるんだと。
その項目の回答(リンク先記事のグラフ参照)を99年と2010年で並べていくと、「交通の便が良くない」については22.7%、22.2%と交通の便自体は良いと感じているようなんですが、「街を歩いていて楽しくない」38.9%から64.4%、「ゆっくり休める場所が少ない」が31.8%から55.6%、「気に入った専門店が少ない」が38.9%から55.6%と大幅増、さらには「映画、ゲームなどの娯楽施設が少ない」では9.1%が60.0%、「街ににぎわい、活気が無い」が22.2%から55.6%と2倍以上の結果となったんだそうな。
リンク先記事にあるが同一項目ではないであろう「駐車場が使いやすい」は「思わない」が84.4%、「子どもたちの遊べる場所がある」では「思わない」が71.1%だそうで、これらの結果からは車・バス・鉄道などを含めた交通の便自体はけして悪くはないモノの、中心街に行く目的や魅力、価値などが大幅に欠如しているだろう現状がうかがえる結果となっています。
んでこの教授さんは「八戸中心街としてはすごい厳しいもん!」「次世代を担う若者たちのために中心街の再生に向けた発想を変えた根本的な改革が必要だもん!!」などと言っているそうです。

まずおらは大きな声で言いたい。
偉いぞこの教授さん(@ロ@!!
こんなこと言ったら街の偉い人はイヤーな顔してまうだろうに、さらには何らかのトラブルでもあるかも知れんのに、よくぞ言ってくれました。
ちなみに当ブログで中心市街地の問題点などを扱うと、地元プロバイダのIPで『地元の悪い点は隠して良いところだけ言うことをしないお前(りうか)は八戸の裏切り者だ!』とかいうコメントがよく来てました。もしかしたら教授さんとこにも何かそういうことがあるかも知れんが、頑張って跳ね除けれ!!

 
さて本題。

まんまその通りだと思います。
ただこれらへの対策を考える時には、2つの視点が必要です。

まずはお客さんの目。分かりやすいように街とピアドゥを比較しましょうか。
同じ買い物が出来るならば、車を持っているほとんどの人が街ではなくピアドゥに買いに行きます。
何故ならピアドゥは駐車場が無料だから。
本来有料駐車場はどうしてもそこでないと困る、そんな施設にこそ有用なモノよね。駅とか病院とか。
でもそれだって無料駐車場が潤沢にあれば有料駐車場の存在意義は無くなってしまうというもの。
普通に衣料品、食品、家具などなどを売っている、その製品に著しい差があるわけではない、だから街はピアドゥなどには駐車場の料金で選ばれにくいんです。

次に現実的な契約関係としての目。つまりは商売するお店側。
この視点で見ると、世の中には無料駐車場などというものは存在しないんですよ。
駐車場の土地には持ち主がいる。タダでは貸してくれない。買うにもお金が掛かる。さらに駐車場にすると、整備費用に維持費用も掛かる。
ショッピングセンターの場合、土地も施設も駐車場も管理側が同じケースがほとんどで(場合によっては借り受ける場合もあるのでしょうが)、それらも含めてテナントから回収しているはずです。テナントはテナントでその分上乗せになっていることも承知で、駐車場を利用できるメリットを享受できると。
しかし街ではそういう連携はない、せいぜい「おんでカード」。

つまり客から見れば街には無料駐車場が無い目的が無ければ行かない場所で、お店側から見れば無料駐車場は欲しいが足並み揃わず出来ない、それが悲しい現実。

んで駐車場が有料だったら、じゃあ街よりも駐車場がピアドゥに出店した方がいいじゃん! っていうのがテナントの論理。
よく「有名店を街に呼べば改善する!」と言い張る人がいますけれども、それ以前に有名店だって勝てる場所に出店したいものなのよ。ドンキがラピアに入って街にこないのもある意味当然。

そうこうしているうちに、街の駐車場管理者の中には資金繰りが悪化して滞納状態のところもあるとかいう噂も出てきています。

つまりこれらが『根本的な改革無しでやってきた』という街の現状なわけです。

だからもうあれだよね、ラピアやピアドゥ、あるいはイオン下田と同じことやってもそれは改善ではなく、ただいちおうそれらもカバーしているだけと気付くべきではないでしょうか。
その上で、今ある魅力をしっかりとアピールし、背伸びではない地に足のついた、しかしこれまでの繰り返しではない改革が必要なのだと思います。

あぁ、これは人によっては誤解を与えるな、少し説明するが、繰り返しではない改革は単に以前やったのがダメではなく、安易に同じことするなということよ。
以前街にはゴミ箱いっぱいあって、でもイタズラされるからと撤去し、プランターやビルの隙間に投げ捨てられるって感じになっていますが、そこは管理次第でどうにかなるとおらは思う。
荒れたままのゴミ箱はイタズラされやすいが、定期的にキレイに管理すればイタズラされにくくなるし、それが続けば自然と利用法も変わってくる、おらはそう考えます。
何より今は今だし、昔は昔です。昔の経験は大事にしたいですが、昔と同じとは限らないでしょう。過去の経験を活かすということは、その理由を理解した上で模索することにあると思いますから。
エコバッグの利用が今では当たり前になっているように、時代とともに変わることもあるのですから、その辺りは良い意味で過去を汲み取り活かしてほしい、それがおらの言うこれまでの繰り返しではない改革です。

そういう意味では某なんたらミシュランは、当初の案通りにちゃんと実名でやって欲しかったですな。冒険しないが末に今の街がある、というのも現実の一面なのですからね。

ちなみに、
私は街の魅力の可能性として今年夏に行われた『八戸の棚』を上げたい。
否定せず全てを受け入れる空間、あれはおらが子供の頃に感じていたニチイや長崎屋の階段にある休憩スペースと同じでした。
そういうものがあればいいなぁと、おらは感じています。

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