ブログ管理者と読者の距離感
たまにこっそり覗いているブログが幾つかあるのですが、そのうちの2つがココ最近、相次いでコメント欄を閉じました。
↑まぁここいらなんですが、1つ目のリンク先はたぶんコメント全停止で、後者はおそらく記事ごとに禁止だが基本設定で今後投稿する記事にはコメント無しの状態のなるのではないかと思われます。どちらもおら方と同じFC2ブログなんでね、閉じ方からみての操作法の類推です。
まぁどちらもある程度の流れは見ていたのでね、あれなんですが、ちょっち読者との距離感についての考察。
当方では基本的に、読者というかコメントくださる方とは相応に対応します。
筋が通った意見には「そうですね」、
筋が通らないというかトンデモには「変ですね」、
ただ噛みつきたいだけ、揚げ足取りたいだけの人にはスルーorブロック、
荒らしやスパムは気付き次第削除&ブロック&通報。
とは言え、24時間対応なんて出来るわけないし、んでもってFC2ブログにはコメントを「承認後表示」する機能がある。
だから諸般の事情を鑑みて、だいぶ昔からコメントは「承認後表示」にしています。
今回コメント欄を閉じた2つのブログでは当方と違い、すぐに公開にしてありました。
まぁ閲覧数の少ないブログ、特に閲覧者が身内オンリーなブログなんかではそれでもいいのですが、スパムや荒らしを考えるとリンク先ぐらいのアクセス数のあるブログさんでは承認後表示にしないのはリスキーであることは明白。
そして残念ながら、望まない客が双方のブログさんに現れた感じかなと、個人的には見ております。
まず最初にコメント欄を変化させたのは2つ目のリンク先。
一部読者との現実社会トラブルに起因し、ブログ管理人を心配する人、相手を攻撃する人、管理人を非難する人、油を注いで炎上を楽しんでいる人などが湧いてきて、ある人の意見でコメントを閉じた感じ。
それまで読者へマメに返信等をしていたが、ネットから現実への突然の訪問者によりその関係というか場所(コメント欄)が乱されて戻らなくなってしまった形です。
つい最近コメント欄を閉じたのは1つ目のリンク先。
こちらは原因は不明で個人的な推察になるのですが、自称ブログ管理人の代弁者が「管理人はこう考えているのだ!」ってのをやりまくり、そんなのどうでもいいという記事を書いたが状況は変わらず、それでめんどうの限界でコメント閉じちゃったのかなと。
この管理人さんの場合は読者にまめに返信ではなく、むしろたまーにだけ気になるコメントに返信するぐらいで、肯定も否定もスルーしてきた感じだった。
それなのに読者感でやいのやいのと自称管理人の代弁者がどーたらこーたらで…
ただ実際に管理人がどう思ってコメントを閉じたかは分からん。
これがSNSだと少しは違うんですよね。
SNSだと(現実社会との反映が必ずあるとは限らないものの)ある程度は個人の確定が出来るんでね、まともにSNS使っている人には意識的あるいは無意識での抑制が働くはんで。
でもブログのコメントのような逃げられる場、コメントの責任を負う必要がない(というか用意に逃げられる)場においては、タガが外れる子も多く湧いてくる。
でも管理人は逃げられない。少なくともブログを運営している間は。
おらのような無名な人にさえ、わざわざ噛み付く輩はやってくる。
過去には個人攻撃で誹謗中傷を繰り返してきた人(IP情報より八戸中心商店街関係者であることは存じております)もいましたし、何故か執拗に荒らしてきた子(IP情報を元にプロバイダに通報したら謝罪メールきた)もいた。この前のは八戸市の民間の掲示板で他の人を否定している人(IPを始め各種情報が同じ)だったな。
おらが思うに、リンク先記事の人は、一人はなんだかんだ言いながら人を信じるお人好しというか優しい人で、一人はいろいろ言いながらもただ在ることを否定されたくないだけだったように思う。
それらの理由でコメントを即公開状態にしてきたが、良からぬ輩、それも自らに原因があると気づかない、気づこうとしない、『自分は間違っていない』から思考し、その為に部分抽出したことを切り貼りし、それを周りの人に指摘されても自らの呪いに縛られる人が居座ることで、自ら望まない現実的な解決法を選択した、ということなのだと思う。
いろいろ思うところはあるんども、これからもリンク先のブログさんには更新を継続して欲しいと思うし、またそれらの読者においては記事を見て「自分も同じと思う」ということ自体が、実際には管理人の気持ちと同じとは限らないというこであり、単に記事に対して共感を覚えたに過ぎないという事実を過大評価しないで欲しいと切に願います。
残念ながら、人生で本当に分かり合える人に出会えることなんて1度あるかないかで、それ以外は分かり合えるではなく、分かり合いたいという気持ちでしかないのだと知って欲しい。
そしてその悲しい事実を知った上でどうしたいのか、そこなのだと思う。