責難は成事にあらず

『責難は成事にあらず』

某小説内で出てくる言葉です。

意味は責めたり非難したりするんは何かを成す事ではないよー、みたいな意味です。

おら自身は認めたくないことですが、どうも一部にはおらがネットに近しいと思われているようです。まぁ実際近しいのでしょう、でもおら基準ではまだ「おらのネット親和性は八戸一いぃぃぃぃうぅういいいいぃ(@皿@!!」とすら言えない程度です。
そんな中でも自サイトの作成・運営などを10年ぐらいやり、某巨大SNSの八戸市コミュの管理人などもしているので、その経験則から言います。

上げ足取ったり足引っ張ったりしておいて仕事したと思っている人多すぎ!!

おらも「それ違うじゃん」とは言うことありますよ。だって明らかに違うことあるもん。この間の新聞報道で「八戸中心街には実は駐車場が多いが、利用されていない」ということが言われましたが、それが出る前には「街には駐車場なんてないジャン(これは無料駐車場を指しての発言ではない)」ってのが多かった。おらは結構前から「実はたくさんある」と言っていてもウソ付き呼ばわりされる、プンスコ(=Д=#
それでも事実は事実だし、間違った認識が流布されるのを見過ごせないし(まぁジャンルにもよるけどね)、そういうのは否定します。というか正しい情報発信するです。むしろしろ。

でも単なる否定の為の否定、解決にも結びつかず、相手の考えを潰すだけの発言、これは下の下以下です。幾らそれっぽいことを言っても、犬の餌にもなりません。ゴミにも劣ります。村上社長なら「下の下…以下ですね」と言って元気玉みたいなの投げつけてきますよ。
だからそういうのはやめて欲しい。事実昨年度の某ワークショップでもそれが多かった。

というと、今度はまた変に誤解する人がいて困る。
文章の一部を切り取ってそれだけで考える人たちです。

以前某テレビ局が東京都知事の発言の一部を切り取って報道したことがあります。その結果、知事の発言とは真逆な内容が報道されました。

言葉に拙いおらが言うのも恥ずかしいが、文章って部分抽出するとその意味が無くなるのよ。例えば、
『「はっち」は税金の無駄だという意見がある、当然だ。だが大事なのははっちをどう使っていくかであり、その為の今後の取り組みこそが大事だ。不安は分かるが、未来まで否定はしないで欲しいと思う』
という発言をしたとしましょう、おらが。あぁおらの本音モリモリだ。

でもこれを何所かのメディアが、
『「はっち」は税金の無駄だという意見がある、当然だ。』
だけ報道したら、文章の意図と違うじゃん!
わざわざ説明すれば、
『「はっち」は税金の無駄だという意見がある、当然だ。』って部分は実情を踏まえてそれに触れた部分で、それに続く『だが大事なのははっちをどう使っていくかであり、その為の今後の取り組みこそが大事だ。』ってところで実情を汲み取った上での自身の考えを吐露している部分で、『不安は分かるが、未来まで否定はしないで欲しいと思う』というのがその人の立場として、またその人の願いを盛り込んだ部分じゃないですか。あぁ自分の文章の解説なんて気持ち悪いなぁ。

だから部分抽出したらダメなのよ。
そしてそれにダメ出しするのはさ、まぁパッと見はそれっぽいよ。だって抽出部分への言及だからね。
でも実際には全体を捉えていない的外れ発言であるわけよ。

また仮にそれらの指摘が至極当然で的を得ているのであれば、指摘した側、あるいはされる側から修正案や代替案、なんなら新案が出て当然なわけね。
それをしないなら、指摘した側は単に文句をつけただけであり、指摘された側は都合の悪いことは目を背けているだけなのよね。

ある意味正に『責難は成事にあらず』、それも双方に対しての『責難は成事にあらず』なわけです。

だからおらは再三再四再五再六再七再八ぐらい言うわけです。
「文句はいいから提案しろ」
とね。

でも残念なことに、そういう人に限って「意見出しているじゃないか」とか言い張ります。他人の借りものや他での導入事例、偉い本に書いてある言葉をそのままコピーしただけで、自身の解釈も添えずにね。知識はそのままでは知力じゃないんだけどね。犬の餌どころかウンピにも劣ります。

ということを、昨年度の某ワークショップでも感じていたのは内緒です。

それはそうと、昨日のワークショップの○子さんのネガティブ発表は良かったね。エヴァとかは余計だったが、あれは大勢を見たらネガティブではあるが、むしろ変に良いことばかりをアピールして都合の悪いところから目を背ける人の方こそ実はネガティブを内包&隠しているわけで、それよりもはるかにポジティブなモノを含んだ発言だと思いました。
あの爆弾能力と高校生のフリーな発言を是非ぶつけて欲しいなぁ(@ω@。

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