ある日突然バス消える

最初に結論から。

ある日突然バスが消えることがあります。

井笠鉄道というバス会社がありました。
岡山県西南部の井笠地方と広島県福山市でバス事業を行なっていたのですが、2012年10月31日でバス事業から撤退し会社も精算されることとなりました。
つまりいきなり潰れたんです。

何が起きたのかをざっくり説明すると、10月12日に「10月31日でバスやめます」と突然発表が、他のバス会社などが代替運行をとりあえず(3月31日まで)始めるが便数減、おまけに定期券が使えなくなり(代替運行バスの定期券購入時の補助あり)、地元の人は寝耳に水だしバス代余計に掛かるし不便になるし困ったなと、そんな感じ。

んでどうもゆるやかに撤退でソフトランディングしようとしたら途中でバレたことでどうしようもならなくなって「もう10月末でやめちゃうもん(;皿;」ってことっぽいのですが、その辺りの内情は今回どうでもいいのです。

問題は、路線バスは公共交通としての側面をもっており、走らせるのも止めるのもお上にお伺いを立てないといけないわけですが、実際には事業継続できない、つまりは倒産するような状態にまで追い込まれたら、事実上ある日突然バスが走らなくなることもありえるわけです。
しかもそれは、全国のどこで起こっても不思議ではなかったりするのです。

 
さてところで、八戸のバスは大丈夫なのでしょうか?
ある日突然バスが消えても不思議ではない部分はあります。

八戸の公営バスの八戸市営バス、これは市長次第で廃止する可能性を否めません。

現在の八戸市長小林眞氏は、たぶんバスに優しいです。市営バスへも頑張れモードっぽいですし、高齢者や障害者が市内の論戦バス乗り放題となる乗車券も現状発行してくれています。
ざっくり見る限りでは、交通弱者も含め、市民に対して公共交通を提供維持しようとしているように見えます。

でも市長が交代したら、あるいはいきなり方針を転換したら、いきなり年度末で市営バス廃止で民間に譲渡って話もあるかもしんない。まぁ現状いきなりそんなことはしないとは思うが、この御時世ですからね。

八戸を走る民間の路線バスと言えば南部バスと十鉄バス。
南部バスも十鉄バスも元々は鉄道もやっていた会社なんども、現在はバスのみ。まぁ穿った見方をすれば、昔いろいろやったがコケてそのツケで鉄道やってらんねー、バスも赤字だが公共交通維持したければお上金出せーです。

八戸の路線バスは基本赤字です。
運転手は安い賃金でレベルの高いサービスを求められた結果平均年齢はどんどん上がり(つまり高齢者を再雇用とかもあるって話)、お上からの援助がなければやってられない状態。
その辺りを考えると、内部に何らかの不安要素がありそれが爆発したならば、前述のバス会社のようにある日突然という不安は拭い切れない部分があるとおらは考えます。

つまり、八戸でもある突然バス消えることは、全くないとは言い切れないんです。

ではこれからバスは、必要なのでしょうか?
それとも不要なのでしょうか?

このことについては個人で意見が分かれるところでしょう。

自分で車を所有し運転する人は、ほぼバスがなくても問題はありません。運悪く交通事故や病気になって運転できない、あるいは車を維持できなくならない限りはね。
でも自分で車を運転できない学生や高齢者にとっては、バスはないと困るはずです。通学や通院、その他移動に毎回家族の車で送り迎えってのはなかなかね。

まぁどちらの意見も否定はできません。
おら自身で言えば子供は愛護手帳を有しており免許証所得は大分難しくバスがないと職場にも行けないですし、私自身不幸にも4年前の交通事故で中途半端なポンコツになり運転も下手になればどこにも人間未満扱いされて雇ってももらえず、さらにはこのまま行けば早い時期、50歳ごろには免許を返上しなければならないかも知れません。
だからバスがないと困ります。
でも安易にとにかくバスを維持して赤字が増えて税金で補填し続ければいいとも言い難いです。

という個人の意見を示した上で、私はバスとは公共交通であると同時に、別の側面が強くあると言いたいのです。

バスとは社会の在り様を具現化するものです。

乱暴な意見を言います。

バスがない社会(地域経済圏)もあり得ると思います。
今ぐらいに流通が発達しているならば、家を出ずに買い物も出来るんですよね。
だから生きられないわけではない。
通院が必要な人は病院の近くに暮らせばよく、いろんな診療科を効率良く受けるために病院もまとめればいいんです。
そういうバスに依存せずマイカーで移動し、マイカーがない人は通販を活用して病院のそばで暮らす、そういう社会もあり得ると思うんです。

でもバスありきの社会もありえるはずです。
バスで通える場所に企業を誘致し、マイカー通勤よりもバス通勤を優遇し、また社員に対してそれらを推進する企業には税制上優遇するなどし、バスに乗る価値を上乗せしてあげる。
特に八戸の場合、中心街は郊外SCとの勝ち目のない不毛なマイカーユーザー集客から脱してもらい、バスの便が良いという好条件を活かすためにバス利用者を含めた施策をしてもらうと。おんでカードなんか対応駐車場利用者だけじゃなく、買い物したら誰にでもあげればいいのにね。
そして普段の足をバス&レンタカーシフトすることでマイカー所有よりも不便にはなるが、それでも交通費の軽減(個人的試算では年間10~20万円以上浮くと思う)による低賃金でもゆとりのある暮らしの実現、そういう社会もありえるはずと思う。

つまりバスとは公共交通であると同時に、その地域の社会が住民に対して、どのように生きるかを示すモノ、つまりバスとは社会の在り様を具現化するものでもあるのです。

ある日突然バスは消える、これは現実に起った事象であり、日本全国何処で発生してもおかしくはありません。
現状の路線バスは大都市以外はどこも赤字で、交通弱者のための乗り物と言い訳しつつのんべんだらりとゆるやかに真綿で首を絞められているだけです。

でも社会のパーツとしてのバスをどのような位置に据えるか次第で、その価値はまた違ってくるはずです。

八戸の路線バスは官民どちらも頑張っているとは思います。
ですがこれからは交通にとどまらず、社会としてのバスについても考えていくべきではないでしょうかという思いを、井笠鉄道の一見を知って後、考えぬ日はありません。

八戸市が路線バスという選択肢を市民に与え続けてくれる自治体で在り続けることを切に願います。

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