十鉄支援のお先は真っ暗…公共施設の赤字は善で公共交通の赤字は悪なのか?
十鉄線への支援困難 来月上旬回答へ(デーリー東北9/21)
3首長 十鉄支援「困難」(YOMIURI ONLINE 9/21)
十和田観光電鉄の鉄道路線の存廃問題について沿線の十和田市・三沢市・六戸町が20日個別に会談し、支援は困難との認識で一致したそうな。
十和田市の小山田久市長が三沢市と六戸町を訪れたそうで、会談終了後に小山田市長が「従来の枠組みを超えた財政支援は難しい」と発言、三沢市町と六戸町長も同様の意見となったそうで、また「要請通りにあれもこれも支援となれば、税金の使い方としていかがなものか。支援はやはり厳しい」との考えも小山田市長は示したそうな。
今回の会談の結果が最終結果とはいちおうならないそうで、それぞれの議会での手続きを経ての最終判断となるそうですが、議会も考えは一致しているらしく、首長や議員を選んだ市民・町民(特に十和田市民・六戸町民)に存続を求める声が圧倒的であるにも関わらず、選ばれた側の判断が全く逆となっている辺りには違和感を覚えずに入られません。
ちなみに十鉄が要請しているのは10年間で5億2000万円の財政支援、ざっくり均等割すると1年辺り5200万円支援してね、という感じです。
今回の件で度々少し頭をもたげる話題があるんですよ。
それは「税金の使い道としてどうよ?」って話。
おらがちょっと内容を知り得た十和田市での説明会でも参加者から「公共施設では十鉄の要請以上の赤字を出しているのに問題にならの?」みたいな話が出ておりましたが、そこでも十和田市職員が「公共施設と公共交通は別物なので」って答えていたのを確認しております。
でもそれってどうなの?
公共施設は赤字を垂れ流しても善い存在で、公共交通は赤字を垂れ流したら悪の存在ってことなの?
何もさ、公共施設と公共交通を同列で扱えとは言わないよ。存在意義が違うのだから、そこは当然区別すべき。その意味では十和田市職員の「公共施設と公共交通は別物なので」発言は外れていないようにも見える。
でもね、それは、男と女は性別が違うから、全て別にすべきって言っているようなもんなのよ。
たしかに公共施設と公共交通は別物だよね。
ショッピングセンターで言えばさ、ほとんどが赤字を出しまくっている公共施設は必ずしも直接的な売上に貢献しているわけではないイベントステージのようなもんさ。
んでこちらもマイカー社会では赤字が出ることが宿命の公共交通ですが、これはショッピングセンターのバス乗り場やタクシー乗り場のようなもんです。これも直接売上には貢献しない。
でもどちらも、ショッピングセンターには必要な要素ですよ。
イベントステージで何のイベントをしようが、基本使用料の収入しかない。
でもそのイベントを目当てで来る人がいて、その全てが売上に貢献するとは限らないが少なくとも来店機会を得ることが出来る。
各市の美術館やら博物館やらはまさにこのような位置づけも兼ねており、その自治体の住民へのサービスであると同時に外の人への旗振り役でもあるわけです。
またバス乗り場やタクシー乗り場もまた、SC的には直接の売り上げにはつながらない。
でもそれらがあることで、そのSCの価値は上がるんですよ。いろんな交通手段が利用できるということは客の選択肢が広がることであり、また車を所有していない人にも来店機会をもたらすわけですから。
同じことは公共交通にも言え、鉄道やバスなどの選択肢がある方がその街の価値は上がる…というか、タクシーは高いし、バスは鉄道より分かり辛いし遅延もしやすいしで、あるとないとじゃやっぱり地元の人も外の人も移動する頻度は減るよね。
そう考えた時、公共施設と公共交通は別物という考えは区別としては正しいが(あるいは担当部署が別というお役所体質的には全くの別物なんだろうけどね)、地方自治体の公共サービスという意味では別物で片付けるべき問題ではないんですよ。
それどころかね、あまり言いたくないがハッキリ言いますが、美術館や博物館が無くっても生活には困らないもの。公共施設でも役場や病院、警察や消防が無くなれば困るけど、美術館や博物館やはっちがなくっても困らない。あぁすまないついうっかり確信犯的にはっちの名前出しちゃった、がんばれというエールだと思い込んでくださいΨ(=ω=ニヤニヤ
でも公共交通がないとね、それだけで生活に困る人もいるんです。
まぁおいらは十鉄沿線に住んでいないから今回の件は違うのだが、おらの子共は車の免許がおそらく取れません。バスと鉄道が頼りです。
おらも交通事故の後遺症が今後好転しないならば、10年後には免許証を返納しているかも知れません。薄々感じていたが、おらどうも左側の空間認識がおかしいと思う。左に寄せて縦列とかが事故後出来ないんで危ないんです、まぁ今のところ前進や左折には影響ないですが。あぁでも左手の麻痺や感覚なくなるので右折は危険ですが(おらの右折は超スロー;;)。
多くの人には無関係な公共交通の廃止ですが(車運転出来りゃ不要よね)、それは一部の人の唯一の足を奪う行為でもあるわけですよ。
まぁタバコと同じで切りやすいよね、今の日本は多数決至上主義のようなもんで多数派が少数派からむしりとるのは珍しくもないし。逆に公共施設はいいところだけアピールすればそれっぽく見えちゃうし。
でもね、やっぱりそれはおかしいですよ。
理想は単独黒字化です。公共施設も公共交通も。
それが不可能であれば他で稼ぐしかない、この場合のほかでとは十鉄が鉄道以外で稼げではなく、その公共交通に関係する自治体がです。
まぁ別に鉄道が必ずなくてはいけないなんて言うつもりはありません。
でも同じように赤字を計上し、同じように地域住民と外からの人ための施策であるはずの公共施設と公共交通が、お役所感覚で『別物』の一言で済まされて待遇に大きな差があることに、違和感と覚えずにはいられません。
ま、万が一十鉄鉄道廃止となったなら、少なくとも現時点で利用している学生に対しては卒業まで自治体と十鉄が責任をもって、鉄道と同レベルの実質運賃で利用できるような支援をして欲しいもんですな。
だって鉄道を利用している学生は鉄道で通うことを前提に受験し通学しているはずですから、それがバスになって生活のサイクルも変えられるわけなので、せめて金銭的な負担だけは押し付けないで欲しいと思います。社会人はなんとかがんばれ。あぁでも障害者やお年寄りなどにも優しい施策が欲しいです。
▼参考リンク▼
十鉄鉄道存廃問題、ある種の自演での予定調和なのか?(みどりうかブログ9/16)