アンドリュー
昨晩(05/04/24)の日曜洋画劇場は「アンドリュー」だったわけなんですが、
おらこの「アンドリュー」がけっこうお気に入りだったりしています。
近い時期に出たスピルバーグの「A.I. 」ほど知られていない気がしますが、また内容がある意味似ているので一部の人が「アンドリューがパクリだ」「いやA.I.の方がパクリだ 」と言っていた気もしますが、とにかくおらは「アンドリュー」の方が好きです。
もしかしたらロビン・ウィリアムズが好きなだけという可能性も無きにしも非ずですが…
まぁそんなこんなで、楽しみに日曜洋画劇場を見たわけです。
ひどかったです…(;=q
なんかとんでもない翻訳をされてました。
意味は通じるには通じるが…良い子も見るだろうことを意識してのやんわり表現&無難な言葉への回避なのかも知れんが…時間の関係でカットしまくったのもわかるが…ウーム…
なんかすごいショックでした、あぁいう形にされると、とんでもない中途半端な凡作にしか見えなくなってしまいます。
せめてリトルミスの結婚式のシーンぐらいはカットしないで欲しかった…アンドリューが頭の映写機で旦那様とリトルミスのダンスを映しだし、それを旦那様とアンドリューが見つめる…この文章にしたらかなり怪しいシーンがとてもよかったのに…
そうそう、ビデオ等では「旦那様」と読んでいるのに、なんで「パパさん」なんざんしょ。あれだとアンドリューが忠実なロボットなんだか、お軽い存在のかわからんくなると思うのだが…
他にもワザワザ固有名詞を強調するような場面が幾つもあった、もしかしたら正味2時間ちょいの内容を洋画劇場通常放送枠に押し込めたのだから当然なのかも知れないが…おらにはとにかくムリヤリにでもアンドリューの時間背景と個人を明確にし、あらすじだけ放送しましたぐらいにしか思えませんでした。
もし少しでも気になった人がいたら、是非レンタルビデオなどで借りて見て欲しいです。
テレビと違って、壮大な時間の物語です。
まぁ元より、いろんな見解ができる物語だとは思うンすよ。
ただおらに言わせてもらえば、
人間に作られし存在が人間と結婚し人間として終わる、このことの方が人間らしいと思うんです。
人は人が思うよりも、周りの存在によって作られるものです。
クセや価値観は基より、何気ない仕草や世界観や倫理観、自己の発見や物事へのアプローチ法などなど、近しい人や関わりのある人に良くも悪しくも作られている部分がある、とね。
だから「アンドリューは個性をもっていたという感じに作中では言われるんすが、おらにはそうは思えない部分がある。
たまたまリトルミスのガラスの馬を壊し、たまたまそのリトルミスの悲しみを癒す手段として木工に着目し、たまたま偶然にもちょうどよい木材と記憶されたガラスの馬から木の馬を作り、たまたま浪漫家な旦那様にいろいろ教えこまれ…と、そういう何気ない積み重ねの末に数十年掛けて小さな自我をもつに至った、おらには旦那様から自由をもらった時のことがそのように思えるんす。
そしていろんな経験をし、感覚デバイスが増えることにより情報量が増える、そのことにより人としての自覚が生まれる…もし彼がロボットでなく人であったなら、ある意味当然の用に受け入れられることではあるはずだ。
まぁたまたま窓から落とされた時にどっか壊れただけかも知れませんけどね(=ω=。
またDVDなどの吹替版のアンドリューの声を担当している江原正士が秀逸です。
おらは一応レンタルビデオの店員をしていたので、いろんな自称映画通(ビデオ通)の人の話も聞いてきました。
その多くは「吹替版はダメ、字幕版じゃないと」というものでしたが、これらは作品云々と言うよりも、その役者の声だから良い、という役者先行の考えだとおらは思ってます。
たしかに英語の作品は英語で聞けば本来の味わいが出るでしょう。
でも吹替は、その作品を良くも悪くもします。
アンドリューでの江原正士さん吹替は、とても日本人にわかりやすく心情を伝えてくれるものでした。
最初、話の間も解せずまくりたてるだけのアンドリュー、しかし彼はバージョンアップの度に人としての会話を身に付けていきます。おら一応字幕版も見ましたが、アンドリューに関してはとてもイメージ的に近いと感じました。
だから是非吹替版で見て欲しい、そしてアンドリューの口癖、「お役に立てれば幸いです」を聞いて欲しい。
吹替版のアンドリューは、あのセリフだけで半分ぐらいわかります( ̄~ ̄。
とどのつまり、おらテレビの吹替版に腹立つ事が多いってことね。
特にこの頃のテレビの洋画の吹替、ひどすぎなことが多いです。
希に逆の場合もあるんだけどな…昔テレビでみた(たしか青森TVだったかな、正月辺りのヤツ)時のシザーハンズのエドワードのボツリとつぶやくような声がすばらしかった…ビデオ版の声もいいんすがね…シザーハンズは…